友生LADNDの部屋

ルーブルからプラドの別館へ歩いた。
とにかく歩いた!
メトロは、「危ない」との情報で。
意外と歩こうと思えばパリは歩けて しまうんだよね〜。
さて、大使館へ行って日本語のパリ情報誌「OVNI(オブニー)」
手に入れた。
それに載っていたホテルに移動し、一安心!!
メトロの件もホテルで「だいじょうぶですよ」の一言で乗ることにし、
それから毎日美術館巡りが始まった!
ルーブル美術館では、「 ミロのヴィーナス」が優雅にたたずんでいて
「モナ・リザ」は無防備に展示されていた。
一番驚いたのは「サモトラケのニケ」思った以上に大きかったのです。
オランジュリー美術館のモネの「睡蓮」はロングサイズで圧巻!
ずっとここにいたい。疲れた心と体にぴったりの作品かも!!
そんな、こんなの毎日のある日、ホテルで知り合った一人旅の女の方と
話をしているうちに、ピカソの「ゲルニカ」が見たいねえとなった。
スペインは隣の国だし、ちょっと行っちゃう?で行っちゃいました。

マドリードのプラド美術館のそばに当時、
「ゲルニカ」だけを展示している広いワンフロアの別館があった。
作品の手前に警備員がいてあまりに近づくと警告をする。
実際に見ないと迫力がわからない。
この大きさだからこそゲルニカの悲劇が表現できたのだ。
やっぱり…ピカソは凄い!!

その夜は本場のフラメンコを観て、次の日は列車でラ・マンチャ地方へ。
ところが駅からスムーズに出発できず、異国でパニックるのは、
もう日常化していてトラベルとトラブルはせセットだね。


 


ルーブル


’84年の年が明け、いよいよ念願のパリへ行くんだ!わあ~い!!と、
言いたいところでしたが本当のところは、知人のM子のパリ行きを見送る立場でした。

ーが、直前になって私も行く!となり仕事をやめて2ヶ月の旅へ出発したのでした。
予定では、パリとのその後、ロンドンに。
実際は、ホテルで知り合った人と急にスペインに行くことになったりして、
いろいろと想定外の旅になりました。

さて、パリに着いたのは夜でした。
ホテルは、オペラ座の近くに2泊だけ。
あとは、長期滞在できる格安ホテルを探して移動しなければならないのに、
M子は「日本大使館へ行こう!」と言い出した。
事件に合った訳でもないし「何故に?」2か月間の旅行者なのに、
「あいさつ」って必要なの?

去年、ツアーで初海外に出ただけの私には何がなんだか。
M子の方は、今回が初海外でいきなりフランス語の世界。
何がなんだか。

だいじょうぶかなあ~私たち。
勢いだけで来たけれど…。




その昔、30年位前のパスポートの取得には銀行の通帳が必要でした。
残高に見合う、渡航先を記入したものです。

パスポート3

海外へ行く予定がなく、でもパスポートは用意しておこうとの思いなので、金額的にはハワイかな?てな具合でした。

1回目は、スムーズにクリアしたのですが、次の取得には「写真」の前髪がひっかかり、係員から

「待っているから、撮り直してきて」
とのお言葉!

同じ髪型なのに、さぁ~どうしよう!です。

ちょうど、大判のハンカチを持っていたので、それをハチマキにして、少し上がった髪型の写真を提出したらOKでした。

やれやれ…。

その次の取得には、「写真」を見て、

「いつ、撮ったのですか?」
「え!最近ですけど…」

前回のように撮り直しはなく、OKでしたが、どうしてだろうと考えました。

たぶん、髪型は同じだし、着ている服も似たようなものを着ていたせいだ…と思いました。

次回は、違う襟の服にしよう!

bob3

1980年、田舎で高校の同級生との展覧会があり、私は、作品制作にBGMがほしく、打ち合わせの後レコード店に入った。

お店のおにいさんに

「民族音楽的なのがほしい」

と言ったら、

「LIVE!」

と言うタイトルのLPを出してきた。

(ん~。お店の人がすすめるのだから、きいてもいいかあ~)
と軽い気持ちで買い、東京にもどりさっそくBGMとしてききだした。

今まできいたことのない音楽。


それがレゲエとの出会いだった。


あとでわかったことだが、レゲエの神様と言われる

“ボブ・マーリー”
のLPだったのだ!


そのおかげと言うか、短期間の展覧会なのに大盛況でおえることができた!

期間中、ジョン・レノンが亡くなり、その4年後

まさかあの危ないニューヨークへ1人で行くことになるとは…。